なぜ人は適応障害になるのか?

朝起きると、まず最初にため息が出る。また今日が始まってしまう。仕事の準備をして電車に乗り、会社の最寄の駅を降りると、またため息が出る。会社に行きたくないのに、足は会社に向かっていく。なぜこんなに辛いんだろうかとずっと考え続けて、それでも答えを出す時間もないまま仕事が始まっていく。そんな生活を約5年続けてきた2023年、私は適応障害と診断されました。そして、会社を休職しました。

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「能力の限界」を超えていると思うとき、心を病む

適応障害は、まじめな人ほどなりやすいと言われます。自分への要求水準が高く、その水準に達しないと感じると自己評価が低くなり、気持ちが落ち込んでしまう。何事もきちんとやらないと気が済まない人、上司や同僚からの要求を断れない人、他人に仕事を振れない人、自分でやった方が気が楽と思ってしまうような人が、仕事を抱え込み、プレッシャーを感じて、期限が迫ると最後はGRIT(やり抜く力)で何とかしようとして疲弊し、それが積もり積もってどこかで心がパンクする。

私の場合はどうか。自分がまじめとは思わないが、常に「あれをやらないと」「これをやらないと」と焦燥感に駆られていた気がします。仕事はいっぱい降ってくるが、それを他の同僚や部下に振るのも気が引ける。やがて誰に仕事を振るかとか、どこまでを自分がやるかとか、そういうことを考えることも億劫になり、自分のところに仕事が溜まっていく一方になる。

典型的な「仕事ができない奴」です。

なぜこうなってしまうのか。私の場合、「この仕事は自分の能力の限界を超えている」と感じ始めた時から、心を病んできた気がしています。慣れない仕事、興味もなく面倒な雑務、毎日のよくわからない定例会議、そういった仕事を意義あるものにしていくだけの意思も能力もなく、責任は重くなり、そのプレッシャーを誰にも打ち明けることもできずに、上司や部下・同僚からどう思われているか戦々恐々としながら日々を過ごしていました。

「能力の限界」を受け入れられないから、心を病む

自分にはこの仕事を完遂させるだけの能力がない。そうは思いつつも、なぜ素直に「できない」と言えないのか、他の人を頼ることができないのか。

プライドが邪魔しているんだと思います。

自分の限界を受け入れることができない。できないと思いたくない。だから振られた仕事を部下に振ることもせず、自分で何とかしようとする。でもどうやればいいかわからないから、立ち止まってしまい、先延ばしにして仕事を溜め込んでいく。やがてどうにもならなくなって、心がパンクする。

これも典型的な「仕事ができない奴」の思考ですね。能力がそれほどあるわけではないのに、プライドだけは一人前に高い。

適応障害になる人の要因は人それぞれでしょうが、私の場合、このギャップに原因があると考えています。「自分の能力を超えている」という弱気な自分と、「自分ならできるはずだ」という強気な自分、この両者のギャップが大きくなりすぎてるんだと思います。

もちろん、成長するためには高い目標を設定してそれに向けて努力することが必要です。ギャップがなさすぎても成長は見込めない。自分の今の能力より高い目標を持ち、その目標の達成に向けて努力を続けていけば、その時は辛くても、一回り成長した自分になれる。辛かったときの努力も自分だけの貴重な財産になる。自分の限界を意思の力で超えていくことは社会人として必要なことでしょう。

でも、ずっと努力しつづけることもできない。

苦手なこと、興味のないこと、意義が見いだせないこと、若いときはこういう仕事でも気力と体力で何とかこなせるでしょう。しかし、年齢が中年に差し掛かってくると、そんな体力も落ちてきます。なのに気持ちだけは「自分にできないわけがない」と思い込んで、仕事を抱え込んでいくんだと思います。

できないことを認める

どうすれば適応障害を回復できるのか。

まずは「自分ができない」ことを認めることだと思います。自分ができないことはそれを得意とする人にお願いする、そして感謝する。プライドを捨てるまではすぐにできなくても、誰かを素直に頼ることを覚えてみる。まずはそこから始めてみたいと思っています。

一方で、自分が得意なことは巻き取っていき、周りを助けることも必要でしょう。

弱い自分をごまかさずに受け入れ、自分が得意とすることにフォーカスをあてて仕事全体のパフォーマンスを上げることができれば、ストレスも弱まって心も落ちくのではないかと思っています。

【編集後記】
昨日は午後から図書館へ。家にいると冷房つけっぱなしで電気代がかかるので、図書館でゆっくり読書。

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