「勉強=資格をとること」と誤解してしまう理由

社会人の勉強というと資格試験が思い浮かびますが、なぜ資格をとりたくなってしまうのでしょうか。

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資格の勉強は、「量と期限」が決まってる

資格試験は、明確にゴールが決まってます。

大体の資格にはテキストがあるので、そのテキストを押さえれば合格水準に達します。勉強の「量」が決まっています。

試験日も明確に決まっています。試験日まで勉強すれば、合格水準に達します。勉強の「期限」が決まっています。

「量と期限」が明確に決まっているから、資格って魅力的なんですよね。勉強した気分になれます。

でも、勉強しないといけないこと全部に資格試験があるわけではありません。英語や会計とかだと資格もいろいろありますが、マーケティングとか、カメラの撮り方とか、有効な読書の仕方とかには資格試験はありません。

資格試験がないからといって、勉強しなくていいわけではありません。「勉強=資格をとること」と考えてしまうと、資格試験のあるようなスキルしか身につきません。

資格があるものは勉強しやすいのでついつい資格に目が行きがちですが、勉強ってそういうものじゃないということは意識しておいたほうがいいと思います。

履歴書の「資格」欄

一般企業で勤めていたときは、採用活動もしていました。

履歴書もたくさん見てきましたが、立派な資格がズラリと並んでいる履歴書もありました。

TOEIC●●点
簿記●級
ITなんとか試験
なんとかナントカ師
ビジネスなんとか実務検定●級

履歴書を見る人によって感じることは違うとは思いますが、こういう微妙な資格が並んでても、私は何とも思いませんでした。逆にいろいろ手を広げすぎて、「何ができる人なのかよくわからん」という印象でした。

資格をアピールに使うなら、1個に特化した方がいいですよね。「TOEIC900点」だけとか「簿記1級」だけとか。尖ってるスキルの方が好印象です。

仕事で役に立てたいと考えて資格に頼る必要なんてないし、そんなにアピールにもならないと思っていたほうがいいと思います。

資格というゴールの目安を設けて勉強するのも良い方法だと思いますが、それだけが勉強ではないのは間違いないです。

「量と期限を自分で決める」のが、大人の勉強

資格試験のように明確なゴールを誰かが決めてくれているものはある意味「楽」です。自分でゴールを設定することから始めるのが大人の勉強です。

何ができるようになることを目指すのか
何の専門家になるのか
いつまでにそれをできるようにするのか

これらを自分で決めないとただの「勉強好き」「読書好き」になりかねないのですが、でも、これが結構難しい。私も悪戦苦闘しています。

書店に行っても色んな本が気になるし、目移りしてしまいます。

でも、決めないといけません。

私は、自分のノートに目標、おおよその締め切り、目標達成までの具体的なタスクを書き出し、毎日そのページを見ています。初心を忘れないためです。

これだけでも、けっこう効果を感じます。ゴールを毎日意識しないと、いろんなものに目移りしてしまいますから。

資格をとることを勉強と思わず、まず自分が「何ができるようになりたいのか」を決めて、それを目に見えるようにすることが、勉強のスタートではないかと思います。


▪編集後記
昨日はオフ。伊藤良さんの「良習慣塾」に入会し、初回のセミナーを受講しました。その後、カメラの機材をチェックしに近くの家電量販店へ。午後から翌日の打ち合わせの準備を少し。

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