「人脈」という言葉には、どこか「仕事目当て」のような胡散臭さを感じて好きではありません。でも、本来は「人脈」とは人と人のつながりを表した良い言葉です。「人脈」を「金脈」と考えてしまうことに胡散臭さがあるのかもしれません。
「人脈」を「金脈」と考えると胡散臭くなる
独立していると、「人脈が大事」という話はよく聞きます。
仕事を紹介してもらえるような仲間や、ビジネスチャンスになるような情報を持っている人と仲良くしていれば、自分の仕事にも良い影響があると考えられているからでしょう。
でも、何となく「人脈」という言葉には胡散臭さを感じてしまい、好きではありません。
友人や知人はいても、その関係性が「仕事目当て」なのは下心を感じてしまいます。
「あの人には人脈がある」という言葉には、コネがあること、しがらみがあることを連想させます。
思うに、「人脈」を「金脈(お金になるものが眠っている場所)」ととらえてしまうと、胡散臭く感じるのかもしれません。
言葉は悪いですが、「人脈=金づる」という意味合いが含まれている感じがするので、あまり良い響きに聞こえないのでしょう。
結果として「人脈」のおかげで仕事をご依頼いただけることはあるでしょうが、それはあくまで結果であって、依頼いただくことを目的に「人脈」を作るのもちょっと気が引ける感じがします。
人脈とは、脈のように人と人とがつながっていくこと
ただ、「人脈」という言葉自体は良い言葉でもあります。
「脈」とあるように、人と人のつながりが脈のように枝分かれになってつながっていき、一人ではたどりつけないような世界へと導いてくれるものが「人脈」というものです。
その人脈が仕事のご依頼につながることもあるかもしれませんが、それも「人と人のつながり」によって得たものです。
交流会などに行っても、「仕事を紹介してくれる人=金脈とつながりたい」と考えていると、なかなかうまくいかないものです。
交流会に参加する人は基本的にみんな「仕事を依頼したい」のではなく、「仕事を紹介してほしい」人が来ており、利害が衝突していますから。
「仕事目当て」にならない人脈
そうはいっても、特に独立当初は、交流会などにも出て自分のことを知ってもらうことが必要になります。
あわよくば仕事のご依頼をいただきたいとも考えるものです。
でも、できるだけ「仕事目当て」だけの人脈を得ることを目的とするのではなく、思わぬ発見につながるような人(それが仕事の依頼につながるかどうかは関係なく)を増やすことを目的としたいと考えています。
そのためには、同業での交流会やビジネス交流会だけでなく、個人的な趣味のイベントに参加してみることです。
私はランニングレッスンを受けていた時期もありますし、読書会やゴルフレッスンなどで知り合った人を大切にしています。
「仕事目当て」ではない、金脈ではない「人脈」をどれだけ増やせるかが、自分の望む働き方・自分の望む生き方を掴み取れるかの重要な課題になるでしょう。
▪️編集後記
昨日はオフ。寝不足解消のため昼寝多め。カフェでブログ執筆。
▪️娘日記
お風呂もだんだん慣れてきました。夜は夜中3時ぐらいにギャン泣き。でもその後は比較的おとなしめでした。
ミルクも少しずつ飲む量が増えてきて、成長を感じます。