自分の顔とか声とか、ブログのような文章を公開するのは、恥ずかしい気持ちもあります。でも、恥ずかしさがあるからこそ、スキルを高めようという気持ちにもなります。
顔出しも発信も、最初は恥ずかしい
昨年にブログを開設してからもうすぐ1年が経とうとしています。記事数も300件を超えていますが、恥ずかしがってたら発信はできないということを痛感しています。
先日、オンラインのセミナーを実施し、収録した自分の顔や声を確認していても、やはり恥ずかしさを感じてしまいます。
自分の顔なんて鏡でしか見ることがないので、慣れていないということが大きいと思います。
でも、恥ずかしがって何もしなかったら、何も得られるものもありません。
恥を越えて、それでも毎日顔と名前を出して発信し続けるという道を選んでいます。
「恥ずかしいこと」は、「好きなこと」かもしれない
「理想の姿」と「現状」とにギャップがあるから恥ずかしいと感じるのかもしれません。
私は今ひとりで独立していて、社員も雇っていなければオフィスもなく、売上にしても私より多い人はたくさんいると思います。
ですが、それを恥ずかしいと思うことはありません。人を雇ったり売上をたくさん上げることが自分にとっての「理想の姿」ではないからです。
自分が求めていること、好きなこと、やりたいことがあるときに、恥も出てくるのかもしれません。
だから、「恥ずかしいと思うこと」は、「恥ずかしいことではない」と思います。
顔とか声が恥ずかしいのも、まあ、自分のことが好きということなんでしょう、、、
最低限の身だしなみとして、少しでも良くしたいという気持ちがあるから、今の自分の顔とか声を恥ずかしいと思うのかもしれません。
恥ずかしくても、続けていくと慣れてくる
ブログにしても顔にしても、ずっと出し続けていると慣れてくるものです。
「まあこんなもんかな」という感じで、良い意味で期待値が下がっているので、当初ほど恥ずかしいという気持ちはありません。
もちろん、今で満足しているというわけでもなく、鍛錬は必要だと思っていますが。
いきなりスキルがアップすることはないですし、凡人は最初はなかなかうまくいかないものです。
いろいろと恥をかきながら、少しずつレベルアップしていくしかありません。
▪️編集後記
昨日は打ち合わせを3件行い、近鉄奈良駅のコワーキングへ。
その後、西大寺駅の百貨店で本を何冊か購入。