今はそうでもありませんが、勤務時代は朝のメールやチャットのチェックが苦痛でした。なぜ苦痛に感じていたのか?
なぜメールが来ると憂うつになるのか?
メールやチャットの内容がクレームだったりミスの指摘だったり、作業負荷が増えるようなものだと、つらい気持ちになることが多いと思います。
そういうのが増えてくると、内容を見なくてもつらく感じるようになってきます。
何かミスを指摘されるのではないか
またきつい仕事が増えるのではないか
そういう恐れが増してくると、メールのチェックがだんだん憂うつになってきます。
なぜ、怖いと感じるようになるのか。
一番は「仕事が多すぎること」「自分のキャパを超えていること」かと思いますが、それ以外にも、「受け身になっている」ということもあるのではないかと思います。
誰か自分以外のところに主導権があると、仕事のコントロールが難しくなります。
コントロールができないと、思わぬ仕事が降りかかってきたり、緊急対応を余儀なくされる可能性が出てきます。
そういった自分でコントロール出来ない事象に振り回されるようなことが続くと、「また何か緊急対応があるのではないか」とか「何かミスしたのではないか」と不安になり、メールが憂うつになるような気がします。
主体的であること
逆に、メールが来ると嬉しいというか、嬉しいまで行かなくても憂うつじゃないメールもあります。
私の経験だと、
- 独立後、仕事をご依頼いただいたとき
- ご依頼いただいているお客様からのメール
- 何かこちらから情報が欲しくてメールをしたとき
- 自分がサービスの買い手である場合 など
上司からの指示で動かざるを得ない仕事や、自分にコントロールの余地が少ない仕事はどうしても受け身になりがちで、そうなるとどんな仕事が突然降ってくるかわからないので、メールやチャットの通知が怖くなります。でも、上で書いたような内容のメールはある程度自分でも主導権を握れる余地があるので、苦痛度合いは少ないように感じます。
自己啓発の名著「7つの習慣」でも、第一の習慣は「主体的であること」ですが、主体的になること、主導権を握れる工夫をすることは、メンタルを健全に保つ上でも重要ではないかと思います。
徐々に減らしていく
受け身の姿勢にならないことも大事ですが、量を減らすことももちろん重要です。
メールが1日に100件、チャットも1時間見ないだけで未読が10件以上溜まるというような状況だと、どれだけ効率よくさばいても早晩破綻します。
メールやチャットは、今や仕事では欠かせないツールになっています。そのメールが来ると苦痛に感じてしまうのは、自分がキャパオーバーになっていることのサインかもしれません。
簡単ではないですが、メールやチャットの件数を減らせるように仕事を調整すること、自分で主導権を握れる余地がないかを考えるときなのかもしれません。